睦月雑感

 ついこの間お正月だったと思ったら、もう月末です。矢のように日々が過ぎていきますが、そう思える方がいいのでしょう。一日や一週間が長く感じられるのは、心身が疲れているときですからね。今年も十二分の一が過ぎようとしています。
 よくご存知でしょうけれど、Hが帰って来ました。帰ってきた日、天井をミシミシいわせたのはあなたですね。二人で見上げ、「あ、居る」と笑い合いました。Hはお正月も帰らず、ずいぶん久しぶりに帰って来たので、あなたも嬉しかったのでしょう。「おかえり」のミシミシだったのですね。Hは修士論文を書き終え、まもなく学生生活に終止符を打ちます。仕事で免許が必要なため、教習所へ通いはじめています。一ヶ月ほどで取得し、二月の終わりには中国へ行くそうです。相変らず行動的な子です。
 たまにしか帰ってこないので、たくさん食べさせてやりたくて、いろいろ料理をしました。Kのつくったお節料理も、冷凍できるものを取ってあり、それらも食べさせました。年末に買っておいたカニで、しゃぶしゃぶもしてやりました。あの子は野菜が大好きだから、サラダや煮物もたっぷり作りました。Kもコロッケを作って持ってきました。三人でワイワイと言いながら楽しく食べました。Hには屠蘇も飲ませ、お正月がもう一度やってきたみたいでした。三日の滞在の後、帰っていきました。
 これもご存知でしょうが、私は小説に根を詰めすぎて、ひどいメニエールが出てしまいました。そのあと風邪、それから薬の副作用なのか胃腸障害がしばらく続き、今も完全には治っていません。書くことは楽しくて、精神も高揚するのですが、自分でも気づかないうちに体力を消耗しているようです。おまけに座ってばかりいてエクササイズも休んでしまうため、体が弱ります。あまりに弱ると書けなくなってしまいます。これからは無茶はなるべく控えたいと思います。反省しています。投稿するものは、時間的余裕を持って書こうと思います。
 話は変わりますが、ずいぶん私は強くなったと思いませんか。あなたが居た頃は、なんでもかんでも頼っていましたが、今ではほとんどのことができるようになりました。やってできないことなど何もないとさえ思います。あなたがあまりにマメなため、私はつい頼りすぎていたのでしょう。先日も、突然に石油ストーブから真っ黒なススが出て立ち昇りました。暖冬とはいえ寒さはまだ続きます。炬燵だけでは不安です。思えばあなたが居なくなってから、芯を取り替えていませんでした。替え時になったのです。説明書を片手に、買ってきた新しい芯を取り付けることができました。
 そのことは小さなことですが、ものごとには、やってみると意外に簡単だと思えることがよくあります。必要に迫られれば、ほとんどのことはできるのだと知りました。要はヤル気です。そういう意味では、あなたは私を甘やかし過ぎました。何でも自分がするものだと思い込みすぎていましたね。それにあなたは、「おまえには無理、無理」とすぐに言いました。覚えていますか。三十代の頃でしたか、私が「いつか小説を書きたい」と言うと、あなたは即座に言いました。
「あ、おまえには無理。だって何の経験もない」
 あのとき私は少し腹が立ちました。たしかに私は特異な経験をした訳ではありません。しかし、何かがしたいと言ったときに、頭ごなしに無理だと言うことはどうでしょう。下手ですが、いま私は小説を書いていますよ。あなただって「透けてゆく人」を誉めてくれたでしょ。「天罰」だって「言葉屋」だって、「とび」だって書きました。たしかに私の人生は、あの頃から較べると波乱に満ちたものになってはいます。けれども私は、ものを書くことはすべてが経験からだとは思いません。ノンフィクションならそうかもしれませんが、フィクションにそれは当てはまりません。創作に関しては、経験よりもむしろ imagination の方が大きいのだと思っています。
 話がそれてしまいました。つまり、その気になれば人間は、眠っていた能力を呼び覚まし、不可能だと諦めていたことも可能にすることができるという確信が、正しかったと分かりました。その考え方で私は生徒たちと関わってきました。私の中で眠っている潜在能力を引き出して生活をし、ものを書いていこうと思います。でもピンチのときにいつも念じてあなたに助けを求めることにしています。
 「とび」執筆中は静かだったあなたは、完成の日、またハエになって原稿用紙のすぐそばの、炬燵板の上に止まりました。あれは「お疲れさん」だったのでしょう。それからまた、いろいろな音で伝えてきてくれます。カチッという音がよくします。あれもあなたなのでしょう。先日は笑いました。Hに作ったお雑煮の出汁が残っていたので、お餅を焼き、夕飯に食べようとしたとき、台所で物音。落ちるはずのない長方形をした大きめのタッパーウェアーの蓋だけが落ちていました。冷蔵庫の上に水平に置いていたので、落ちるはずはありません。以前にも、カレーを食べようとしたとき、同じことが起こっていました。ラーメン、カレー、お雑煮。あなたの三大好物ですが、この三つに限って供えないと何かが落下します。お好み焼はかならず供えていますが、こんど実験してみたいと思います。供えずに食べてみます。
 冬でも家の中のどこかに棲んでいる一匹のハエ。夏に見る毒々しいハエではなく、不潔感のまったくないスリムなハエ。これは、あなたなのでしょう。寂しいとき、嬉しいとき、小説が完成したとき。私が強く何かを感じたときに、かならずそのハエはどこからともなくやって来て、私のそばに止まっています。「また来たの」と話しかけている私。羽根を広げてみせたり、歩いてみせたりするあなた。こんな伝え方もあるのですね。あなたは修行の甲斐あって、お腹がずいぶんへこみ、スリムになりましたね。いろいろな人たちに助けられ、励まされて私は生きています。あなたが先に逝ったことをもう怒ってはいません。毎日を丁寧に生きたいと思います。いろいろなことを頑張ります。

2007年1月26日


前頁 次頁

INDEX