もう秋

 このコーナーの文が滞りました。三ヶ月間も書かないでいたのですね。しかし、あなたに何も語りかけていなかったわけではありません。それに「思」のコーナーで、あなたに向かって語っていることもありました。そちらの方が気軽に語りやすいのです。それで、ここでは語るのを辞めようかと思っているのですが、どうすればいいでしょうか。
 書かなかった理由のひとつに、書けば気持ちが崩れそうになるということがあります。あなたに向かって語りかけると、どうしても悲しげになるからです。居ないことが悲しく、寂しくなるからです。それは良いことではありません。書いても沈まない、書いても暗くなって後退しないというふうになるまでは、書くべきではないと考えたのです。泣きごとを書いて気を紛らす時期は、過ぎていると思います。書いて上向きになるなら書いてもいいわけです。
 しかし、日記や個人に宛てた文というのは、本来は公開するものではありません。公開することに何らかの意図があれば別ですが、他の人が読むと解っている以上、ほんとうの心の内は語らないものです。私もそうです。ここで書くことは、当り障りのないことばかりです。そんなものは本音ではありませんし、こんなものを人様が読んでも面白いものではないでしょう。ですから、もう辞めようと思っています。あなたが逝ってすぐの時は、語りかけずにはおられなかったのでした。今はそうでもありません。
 三つめの理由は、少し云いにくいのですが、「愛別離苦」での私は、あなたの妻で書いていますが、私のすべてがそう見えるというお声がありました。「平成道行考」の私も、小説や詩を書く私も、すべてがあなたの妻である私がしていることだと見えるという御意見がありました。一人の人間は、さまざまな部分を持っており、複合体だと思います。ですから、私を一面からだけ見て判断されることは不本意なことです。私は身も心も女であった頃の自分を否定はしません。女として、妻、母、嫁、先生を一生懸命やってきたという自負もあります。けれども今の私は女としてだけ、妻としてだけで捉えられるのは厭なのです。あなたにこんなことを云っても仕方ありませんので、この話はこれで終りにします。
 夏の間、去年のことを思い出して凹んでいました。私の誕生日あたりから、花火やあなたが逝ったこと、苦い夏の記憶が甦って今年も苦しい夏でした。そんな中、「透けてゆく人」の校正に没頭している時だけが、すべてを忘れられる時間でした。一周忌、初盆と、あなたを祀ることをして、居ないことを再認識させられて沈みました。しかし、一年が過ぎたら上を向こう、そう決めていました。8月30日には本が届き、大喜びをしました。私に100冊が送られてきたのです。箱を開けて取り出した一冊めを、あなたに供えました。(あ、また音が。応えてくれたのですか)
 九月半ばには遍路に行く予定でした。早くから申し込み、体力をつけていたのですが、直前に風邪を引き、また行けなくなってしまいました。なぜこうなのでしょうね。本の刊行が近づき、皆さんにお知らせしたり、にわかに落ち着かなくなりました。きのう阪神が優勝し、関西は沸きかえっているところです。そして明日は私の出版を祝ってくださる記念会が行われます。季節は巡り、時は確実に過ぎてゆきます。もう秋ですね。あなたが居ない二度めの秋です。あしたは皆さんと楽しく過してきます。一番喜んだだろうあなたの姿が、そこにないのが寂しいですが、大いにはしゃいで来ようと思っています。


2005年9月30日

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