福知山線の事故から一年

 福知山線の事故から一年が過ぎました。JR史上最悪の事故であったにもかかわらず、遺族側には事故原因が正式に説明されていないといいます。
 運転士が死亡しており、運転中に何が起こったかを聞き出すことは不可能にしろ、原因はそれだけではないだろうし、その一つ一つを遺族や社会へ向けて説明することは必要です。社員教育の行き過ぎ、利益追求による過密ダイヤ、車両の軽量化、ATSの未設置など、新聞などで報じられたことから私たちは原因を探るしかありません。
 今後は安全第一を肝に銘じてと新社長の山崎氏はじめJR関係者は口にしていますが、まず考えうるかぎりの原因を究明し、非を認めて謝罪し、以後の取組みを具体的に示すべきではありませんか。補償交渉が進まないのは当然のことでしょう。原因究明を曖昧にしたままでは次の段階へなど進めるものではありません。
 この事故の8ヶ月前に、あなたは虚血性心疾患によって急逝したのですが、事故ではなく急病によるものでも、突然に家族を亡くすことの激しい痛みを経験しました。あなたの場合、長年の暴飲暴食や不摂生、過労が死因に大きく関係していたと思われますが、あの事故の犠牲者の方々は違います。安全と信じて乗ったいつもの電車が、あんな事態になって命を奪われるということは、どう考えても納得のいくものではありません。
 電車に乗るという日常の普通の行動が人為的に壊され奪われたのですから、怒りはぶつけてもぶつけきれません。父が母が、息子が娘が、兄が姉が、弟が妹が、友人が同僚が、上司が部下が一瞬にして凄惨きわまる状態で命を失ったのです。この不条理、理不尽は、ご遺族にとって、どうしても納得のできないものであり、死を受け容れることは難しいことでしょう。
 あなたが逝って1年8ヶ月。ようやく私はあなたの死を受け容れはじめていることを感じます。それは死というものに対しての考えが変化したからだと言えます。どう変わったかって? それはひと言では云えませんが、死や死者が、それほど遥かな世界のものでなく、身近に感じられるようになったからです。
 会いたい。声を聞きたい。事故で大切な人を亡くした人たちは皆そう云います。私もそうでした。けれども私にはその気持ちが薄れてきました。実際にはあなたともう会えません。声も聞くことができません。それが叶わないことであって諦めたからです。しかし不思議ですよ。あなたは生きていた時よりも私の中に生きています。私の頭蓋骨の内側にあなたが小さくなって張り付いているのではないかとさえ思います。
 姿だってよく現してくれますね。白く丸いもの、家の中のあちこちでする音、とくに明け方によく音をたててくれますが、あれはあなた以外に考えられません。死んだ人は想う者と共に生きているのです。だからあなたもまだ生きています。
 ご遺族の皆さんが、少しでも楽になられる日を切に望んでやみません。


2006年4月25日

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