− 思うことなど −

 彼が遺したノート

 Hiroshiの遺した2冊のノートがある。机に造り付けの本棚に、そろって立てて並べられていた。一冊は見おぼえがある。しかし、別の一冊があることを私は知らなかった。
 2002年の夏に私たちの関係は崩壊した。けれどもあらゆることを考慮に入れ、私は別れるという道を選ばなかった。彼にはその後のことを選ぶ権利はなく、それは私の苦渋の選択であった。もう一度やり直すには彼が自分を見つめ直し、今までのように欲望に振りまわされることはないという信念を持つことを望んだ。それまでの生活を省みて悔い改め、今度は堅実な生き方をすることが条件であった。彼の多額の借金で、家計は火の車であったのだ。

 彼は内省的な人間ではなかった。いつも何を考えているのか分からなかった。悪事がばれると神妙な顔をして深謝し、許されると涙を見せて感謝し、それらの言葉を出した舌の根が乾かぬうち、じきに同じことをくり返した。金銭に無節操なのは学生時代からであった。金銭面だけではなく、暑いといっては不機嫌になり、ものを買うことに反対するとふて腐れた。夕飯のおかずに肉ではなくアジの塩焼きをだすと厭な顔をした。自分の思う通りにならないと、不満をあらわにして子供じみた態度をとる男であった。
 欲望に躍らされ、節制のきかない彼という男には、ものごとを考え、整理して言葉にすることが必要であると思われた。そこで私は読書と書くことを勧めた。彼はそれを承諾し、2002年10月からノートに記しはじめた。問題が浮上して三ヶ月、まだ私は「うつ」から脱していなかった。それまでの平穏な生活や信頼関係が崩れ、立て直しができていなかった。私はうつ病からいつか自殺を図ってしまうのではないかという不安を抱えていた。当初、彼は嘘をつき続け、口から出まかせの不誠実さに私は拒絶反応し、苦悩を押し込めるようになっていたのだ。そんな私を前にオロオロしているだけの彼に業を煮やし、読み、書き、考え、書いて言葉で伝えてほしいと要求したのだ。
 ビジネス書ではなく、思索を促す書物を読むことを勧めると、彼は人生について考えさせられる本を古書店で買ってきて読んだ。仏教に関するものもあった。文学など無縁であったのが、私が薦めたその類の本も読んだ。思索をすれば節制できる人間に変化するのか出っ張った腹はへこみ、身のこなしも軽くなったように見えた。自ら酒とタバコを辞めると云い、甘いものなどの嗜好品を買ってこなくなった。抑制のきく人間になるのは私の思惑どおりであり、心身ともに健康になるのは併せて喜ばしいことであった。

 一日めの記録には、私にこのノートを渡されたこと、「書いている時は真面目に自分と向き合うはずだから」と私が云い、彼もそう思ったと書かれてある。そのほかには、借金を返済をするのにマンションを売却しなければならなくなったため、不動産屋へ行ったこと、マンションへ寄って母に会い、引越してもらわなければならないと伝えたこと、娘のKからも大金を借りることを伝え、母はひどく落胆した様子であったことなどが書かれていた。最初は交換日記のように私も応えてノートに書いている。二人の心の葛藤は生々しく、私の言葉は彼を糾弾するものが目につく。経済状態が改善されるとまた彼の態度は横柄になり、いつのまにか腰まわりも太くなっていた。やがて私は何も書かなくなり、彼と対話する気力をなくして、孤独の世界にのめり込んだ。
 一冊めのノートは2002年10月から翌年の3月までの5ヶ月間の心のうごきが記録されている。3月に彼が記録をやめたのは、私が大切にしていたマンションの売却の日を月末に控え、ふたたび私が「うつ状態」になっていたからだ。彼も罪の意識に苛まれ、私を気遣うこともノートを書く余裕もなくなってしまったのか、記録はそこで止まっている。
 ノートはその一冊だけであると思っていたが、もう一冊あった。2003年7月21日に始まっている。それは、前年、すべてを知る発端となった“手紙”を見つけた日が近づき私が沈んでいたのか、ふたたびノートを書くことを思い出したかのように始まっている。記録は11月19日まで断続的に書かれ、それからはパッタリと途絶えている。その時から、彼はふたたび借金を重ねて破滅の道を一気に歩みはじめていたことを私は少しも知らなかった。

 彼の死後、数ヶ月はこれらのノートをひらくことができなかった。走り読みをしたばかりで未だ詳しくは読んでいない。ところどころに私を苦しくさせる言葉がある。彼なりの反省の言葉や心の内を知ることは、今となっては辛いことなのだ。平静な気持ちではまだ読めないのである。
 文字の功罪。とりわけ罪について考える。私を切り苛んだ手紙といい、このノートといい、言葉を文字として遺すことの重さを痛感する日々である。
   
2005年6月

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