− 思うことなど −

 庭を継ぐ

 人の亡きあと、遺された者は故人の遺志を継いで何ができるかを考える。私もそれが何であるかを考えようとした。だが、考えるまえに答は出ていた。それは庭を継ぐことであった。

 近しい者だけで葬儀を済ませたあと、数日ぶりに庭を見た。亡くなる二日まえ、故人は芝生を刈り込み、野菜の手入れをし、雑草引きをして庭を整えた。その庭に、はや雑草が生い茂り、夏野菜の成長を妨げていた。八月の太陽は、かれらが庭を侵蝕し、占領するのを加担するように照りつけ、湿度も充分に備わっていた。雑草は故人が立てた支柱のまわりを取り囲み、土を這い、畝(うね)を覆いつくすまでになるのには、それほど時間はかからないだろうと思われた。

 やおら私は帽子をかぶり、軍手をはめると庭へ降りた。Hiroshiが維持した畑だぞ、おまえたちに占領されてなるものか、エイッ、エイッとばかりに炎天下で雑草を抜いた。抜きながら、ぽろぽろと涙がこぼれた。汗と涙がひとつになって土に落ちて浸みこんだ。帽子に隠れ、家の中の娘たちに気づかれないように、汗を拭くふりをして涙を拭いた。翌日、次女のHも同じことをし、灼熱の太陽の下、一人で黙々と雑草を抜いていた。三日ほどの短い滞在であった彼女にとって、父の存在をたしかめる手だては骨壷の骨にふれることと、庭に出ることであったのだ。この子も同じことをするのだ。父を失ったことを知ったばかりの娘を不憫に思った。人まえで涙を見せない彼女も、帽子の下で、やっぱり汗をふくように涙をぬぐっていたのかもしれない。

 その庭は秋になり冬になって寂しくなった。芝は枯れて庭全体を褐色にし、夏のような緑の庭ではなくなってしまった。畑には茄子やピーマンが、枯れたままで抜かれもせずに植わったままになっていた。彼が植えたそれらの低木や支柱は、どうしても抜けなかった。支柱に結んだ一つ一つの結び目も、それらを彼が結んだと思うとほどけなかった。畑やプランターにある緑色は、ネギだけであった。それも彼が植えたもので食べることが憚られ、冬の間、霜がおりたり雪が積もるのを見守っていた。ネギは緑であることを春までやめなかった。

 春先になると長女のKが野菜や花を植えた。Kこそ私よりも庭を守りたいという強い意思を持っていた。「お父さんがしたことは、ぜんぶ私がする」と彼が逝ったあと私に云った。それはおとなしい性格の彼女にしては珍しくキッパリとした口調であった。その通りにKは毎週末か日曜日にやってきて庭仕事に精を出す。花を植え、畑を耕し、除草剤を撒き、生垣の剪定までもやってのける。今や私は全面的に庭のことをKに頼っている。小さい頃から草花が大好きな子であったからというだけでなく、Hiroshiが私のために維持した庭を、何としても守るのだという気持ちが嬉しい。夢中で働いている姿に胸が熱くなることがある。

 冬の間、私は長編恋愛小説の連載に注ぎ込んでいたが、終了すると再び虚脱感に襲われた。まだ私は癒えてはいないのだった。これではいけないとばかり遍路に出ることを思い立ち、それについて調べたり、準備を始めたりした。不安を抱きつつ、とりあえずは出かけてみようとしたが、予定が狂い、体調がくずれ、出発を断念しなければならなくなってしまった。半ば残念、半ば安堵の気持ちで、また私は虚しくなりかけた。私を圧し潰すような悔いと、彼を悼み償いたいという意思は、どこへ向ければいいのだろうか。ふたたび私は振りだしに戻ってしまうのであった。

 何をすれば私の心が穏やかになるのだろうかと考えあぐねていた四月の夕暮れ、私はひとり庭へ出た。目のいくところすべてに雑草が生えている。青くなってきたと喜んでいた芝のあちこちには、小さな雑草も無数に生えていた。網目のような芝の根に種子を落とし、そこを拠点に猛威をふるおうとしている。遠目には分からないが、しゃがむとそれがよく見える。芝だけではなく、畝にも生垣の下にも花壇にも、わずかの間に雑草がはびこっていた。いきなり素手で、私は雑草を抜きはじめた。これでもか、これでもかと手を汚して抜いていた。抜けども抜けども終わりがない。果てがない。しばしの間、私は夢中で雑草と格闘していた。

 気がつくとHiroshiのことを考えていた。私のために、彼は一生懸命に庭をきれいにしてくれた。いま私が彼のために庭をきれいにしようとしている。抜きながら、彼が庭仕事をしていた姿が頭に浮かび、庭のどこかで彼も作業をしているような気がした。もちろん姿はどこにもなかった。あそこでよくしゃがんでいたな、あの生垣を刈っていたなと思い出すばかりで、姿など見えるはずもなかった。見えないけれど彼の息吹を感じ、云いようのないやすらぎに包まれたのだ。

 「ひとりで遠くへ行くなんてやめてくれよ。そんな体でどこにも行くなよ、心配じゃないか。俺はいつもここに居るぞ。一緒に庭をきれいにしよう。また茄子を植えよう。トマトも植えよう。おいしい実がいっぱいできるといいな。俺が生きてた頃は、ちっとも手伝ってくれなかったけれどもな。これからは一緒にしようぜ」

 声も聞こえ、笑顔も見える。作業用の青いシャツとジャージのズボン姿の彼が見えるようであった。私がいちばん落ち着く場所は庭なのであった。償う行為は庭仕事であった。彼に守られ、彼のそばで、私のするべきことは「庭を継ぐ」ことであったのだ。越してきたときにはだだっ広いだけの石ころだらけの庭であったのを、私のために彼がここまで整えてくれた。彼が守ろうとしたこの庭を、遺された者は守らなければならないのだ。

 春が来て植物が活気づき、私も元気になってきた。しなければならないことが毎日あるので塞いでなどいられない。初夏になり、夏に向けて植物たちはさらに元気さを増してきた。木々も野菜も花も雑草も、みなエンジン全開である。私の小さな悲しみや、世界の大きな悲しみにすらそ知らぬふりで、かれらは自分たちの営みをつづけている。彼が守ろうとした庭を、遺された者は守らなければならない。自然は待ってはくれない。思い悩んでいる場合ではない。庭の植物に負けずに私も生きなければならないのだ。

 Hiroshi亡きあと、庭作業を手伝ってくださる人々が、入れ替わり立ち替わり右近庵を来訪する。今月も「水無月の会」管理人さんの天野氏に、伸びすぎた生垣の枝をノコギリで伐りそろえていただいた。二日後から彼は筋肉痛に苦しめられたそうである。その一週間後、おびただしい木の枝を、旧友Dがやってきて二宮金次郎が背負っている束状にし、ゴミシールの節約のため、さらに大きな塊にして帰っていった。私は、そしてこの庭は、いろいろな人に支えられているのだ。人の温かさを感じずにはいられない。庭を継ぐことに、頼めば誰もが快く手を貸してくれる。

 植物が、Hiroshiが、娘が、助けてくれる人々が、庭を介して私の背中を押している。立ち止まらないで歩きましょうと優しく押してくれている。だから私は歩きはじめた。もう後戻りはしないという自信がやっとついてきた。

 馬鈴薯の花が五月の風にゆれ、茄子やキュウリやトマトの苗が育ち始めた。成長が楽しみである。

急成長した馬鈴薯にきれいな花が咲いた。


2005年5月20日

平成道行考「右近的日常」より

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