− 思うことなど −

 “ひとり暮らし”哀話

 ひとり暮らしをするようになって半年が過ぎた。考えたこともなかった状況に突如としてなり、不安や寂しさに襲われたが、近頃ようやく慣れてきた。
 私には一人暮らしの経験がない。大学へは自分の家から通っていた。家を飛び出して京都へ行くも部屋へは帰らなくなり、じきにHiroshiのアパートで寝食を共にするようになった。古い木造アパートの2階にあった彼の部屋でa々の「せみ餃子」と野菜炒めに味噌汁という夕食ばかりつくり、二人でガツガツ食べた。そのあと銭湯へ一緒に行き、まるで名曲「神田川」を地で行くような生活をしていた。その後すぐに結婚し、どこへ行くのも一緒で毎日おなじ顔を見て長年過ごした。そして三十周年を迎えるはずだった直前に彼は他界した。一人が好きだと云いながら、それは彼がいることを前提としたものであったと知った。彼が居ないことは考えられないことであったが、そうなってしまった今となっては一人暮らしを頑張ってやるしかない。

 彼は稀代のマメな男であった。そのマメさには人に驚かれたり羨しがられたりした。大工仕事はお手のもの、その仕事はプロなみで玄人はだしであった。家じゅうに彼の手による棚、ワゴン、机、折りたたみ式テーブルなどがある。また彼は電気関係にも明るい男であった。電気系統の故障は即座に直し、わが家には電気工事の人が出入りしたことがない。一人暮らしをはじめてから午前三時頃に停電し、家じゅうが暗闇になったことがある。うちだけが停電していると分かったとたんひどく不安になり、ローソクの火をともして泣きそうになり、じっとしていた。「なんで居ないの」と思った。どんな時にも彼を頼っていたのだ。
 男が得意とする分野に明るいことは特に珍しいことではない。彼はそのほかの家事にも長(た)けていた。私の仕事が忙しくなってから、家事における彼の働きにはめざましいものがあった。掃除、洗濯はもとより、台所の後かたづけも彼がする日がふえた。さらに私が病気をしてからは、彼は担当する家事の種類をふやした。そしてさらに悪事がバレてから、私がすることがないくらい動きまわった。自分の服のボタンつけ、パジャマのズボンのゴムを取替えたり、シャツやハンカチにアイロンをかけるのもすべてやってのけた。(私が拒否したのではなく、彼が自らすすんでやったのだ。誤解なきように)

 ひとり暮らしをするにあたり、まず困ったのはゴミ捨てであった。これも任せきりであったため、曜日がとんと分からない。生ゴミの日だけは知っていたが、プラやらビン、カン、不燃ゴミなど、何がいつやら私はかいもく分かっていなかった。彼が柱に貼りつけてあったメモを見て、それにしたがい捨てている。
 重い物の買物にも困った。六匹分のキャットフードは、まとめて買うと重い。米、灯油も重い買物である。キャットフードやネコ砂は分けて買えばよい。米や灯油は人に頼むか注文すればよい。重い物は彼が率先して持っていたが、スーパーで食糧をまとめ買いした袋の二ツや三ツ、私にだって軽々持てるのだ。ダンベルで腕を鍛えておいてよかったと思った。
 家事で唯一、彼ができなかったのは料理であった。食べることが大好きなのに自分でつくろうとしなかった。「俺がやると金がかかるぜ。まず本を買ってきて、厨房の器具を揃えることから始め、高価な食材を買ってきて……」とたいそうなことである。してもらわなくて幸いであった。台所にまでモノがあふれるところであった。
 しかしその料理だが、ひとり暮らしになって困ったことがある。あれだけ食べることが大好きな人間が居なくなってしまったのだ。私は料理をする意欲を失ってしまった。最初からひとりであればそうでもなかったのかもしれないが、こんなかたちでひとりになり、自分だけのための料理をつくる気がしないのである。やる気がないだけでなく、食べるのを忘れてしまうこともある。一般の家庭が夕食の準備に忙しい頃、私は忙しく立ち働かなくてよい。書いたり読んだりに没頭したり、瞑想にフケッていると時間を忘れる。ふと気がつくと夜もふけていたりする。そこはかとなく空腹を感じ、やおらゴソゴソ何かをつくり、モソモソと怪しげなものを食べている。(コレが“犬のエサご飯”である)しかも新聞を広げて読みながら食べるという行儀の悪さである。まるでオヤジである。
 食いしん坊の大食い人間との暮らしで身についた習慣はとれない。食糧の買いだめは塾をしている頃から週に一回であった。娘たちが家に居た頃は四人分、その後は彼と二人分の食事をつくる食材を購入していた。なんせ食に重きを置く人との同居である。その量は二人にしては多いほうであった。困ったことに、その癖がとれず、ひとりであることを忘れてつい買いすぎてしまうのだ。おまけに料理らしい料理をしなくなってしまったから、一週間たっても冷蔵庫に食材が未使用のまま残っている。生活するということは共に食べること、愛するということは食べさせることだったのだなと再認識させられた。

 ひとりで暮らすようになり、何もかも頼っていたことを痛感する。しかし日常生活でのこまごまとしたことは必要に迫られてできるようになってきた。これは進歩である。まだ越えられないのは生活面ではなく心のほうである。居ないことが不思議で、ふとした瞬間に「なぜ」と今でも思うのだ。駅に迎えの車がいないと「なぜ」と思い、夜更けに帰ると、家のどこにも灯りがともっていないのを「なぜ」と思う。ひとり暮らしをする私に当分の間「なぜ」はつきまといそうである。
 寒さが一段落し、今日は春のような陽射しだった。久しぶりにアジを四ひきばかり干した。「ひとりでもしっかり食べろよ」と空のかなたからHiroshiの声が聞こえてきそうな気がした。

2005年1月

平成道行考「ひとり言」より

前頁 次頁

INDEX