− 思うことなど −

 あけがたにきた人

 七夕の日の明け方のことである。
 私は「透けてゆく人」の第一回め著者校正に余念がなく、深夜から朝までの時間を費していた。進めていくうち、膠原病について説明しているところに行きあたった。その部分を書くのに参考にした文献を明記するほうがよいという編集者のAさんがアドバイスをしている。私もそう考えていたので従うことにした。ところが本を片づけてしまって、どこにあるのか分からない。本棚があり書きものをする居間と、読まない本が積んである和室を行ったり来たりして、私は深夜にゴソゴソと探しものを始めたのだ。

 いちばん可能性のある和室に無く、それならと再び居間に戻って本棚を探しはじめた時であった。突然、「ガラガラッ」という大きな音がした。ドキンとした。何だ。それは二階にある三室のうちの一つの部屋の引き戸があけられ、敷居を戸が移動する聞きなれた音であった。ソファで丸くなって寝ていた老猫ダッコも、その音にガバッと起きて顔を上げた。誰か居る。泥棒か。それなら大変だ。さて、どうしたものか。居間から階段を見つめて思案した。私は冷静であった。まず階段の電気をつけようと、スイッチを入れた。明りで賊がひるみ、いくらか時間が稼げると思ったからだ。上ってみようかと思ったが、それはやめた。賊は男であろうから、体力的にかなわないと判断したのだ。

 雨が多いので、ここ二、三日は二階の窓や戸は閉めて鍵もかけてあったはずだが、なぜ侵入したのだろうかと不審に思った。どこかの鍵をかけ忘れたのかもしれない。私はおもむろに子機を掴み、あちこちの電気をつけながら、廊下を足早に歩いて、玄関へと急いだ。そして玄関マットの上で待機し、賊が降りてきたらすぐに外へ逃げられる態勢をとった。しかし待つこと数分、何の音もしない。午前四時半に家人が起きていると知らずに侵入し、賊は焦って怖気(おじけ)づき、息を潜めてじっとしているのだろうか。とにかく、すぐにダッシュして隣家に助けを求められるようスタンバイして様子をみていた。

 家の中は依然として静まり返っている。もちろん外も静かでまだ暗く、両隣の住人もまだ起きてはいない。「もしかしたら」と私は考えはじめていた。そおっと居間へ戻るとダッコが階段に居る。下から二段めのところにむこうを向いて座っている。警戒するでもなく、おとなしく穏やかに座っている。ほかの猫たちは台所でスヤスヤ眠っていた。これはもしや…。そんな馬鹿な。いくらなんでも、あんなに大きな音はたてないだろう。でも、やっぱり…。

 それはHiroshiの部屋の戸があく音であった。彼がそこに住んでいた頃、朝にまず「ガラガラッ」とあき、休日には何度も開閉した。元は和室であったのを先住者が洋室に変えたそうだが、板の引き戸はそのままであったのだ。外側は木の合板で、内側は襖紙が貼られている。越してすぐにはそこに長女のKが住んでいたが、彼女が嫁いだあと彼は一階の和室からその部屋に移動した。黒で統一した娘の机や本棚、整理箪笥(たんす)などを彼は気に入り、きれいに片づけて快適な空間にしつらえていた。彼はその部屋に五年住み、昨夏そこで最期を迎えた。

 それはHiroshiがたてた音であった。静まりかえった明け方に、彼は私に伝えてきたのであった。私は整理が苦手で日頃から探しものばかりしている。何かがないと「さがして」といつも彼に頼っていた。探しものが得意な彼は、おやすい御用とばかりにすぐに行動を開始した。しばらくすると「ホラ、あったで」と私の前に差し出した。私がいちど探した所からもよく見つけてきた。「なんや、そんなとこにあったん」とニコニコ顔で私は受取るのだった。探しものは全面的に依存し、どんなものも彼は探し出した。本が見つからなくてウロウロしている私を見るに見かね、部屋から出てきて一緒に探してやるよとHiroshiは伝えてきたのだろうか。

 その二時間ほど前にも天井がミシミシといった。小腹がすいたので、遺影に供えていた小皿のカレーを下げて温めて食べていた時のことであった。その音にはすっかり慣れてしまったので、「カレーおいしかったぞ」だと思っていた。それはいつもの音であった。けれども、あのように大きくはっきり戸のあく音をさせたHiroshiは、「本探しを手伝ってやろう」のほかにどんなメッセージがあったのだろうかと考えた。そして「あのこと」が嬉しかったのかもしれないと思ったのだ。

 その前日、義姉(Hiroshiの姉)から電話をもらい、義母が骨折をしたことを知った。Hiroshiの死後、意気消沈して家から出なかった義母は、少し元気になって友人宅へ遊びに行ったという。その帰途にコンクリートの上で転び、大腿骨を折ってしまったのだそうだ。それを聞いて、私はひどく心を痛めた。骨折は二度めである。私は今すぐには行けないので私の二人の娘たちに連絡し、お見舞に行ってあげなさいと指示をした。娘たちも心配し、さっそく行くと伝えてきた。長女のKに私は云った。

 「彼が居たら、まっ先に駆けつけて『大丈夫か』と元気づけてあげただろうに。体の具合が悪いとき、いつもそばにいた息子の顔が見られないのは寂しいことだろうね。ほんとうにお気の毒に」

 義母や義姉とは結婚生活約30年間にさまざまな確執を生じさせ、一触即発の時期もあった。このたびのHiroshiの不祥事に関しても、かばうばかりの彼女たちの態度には大いに失望させられもした。しかし時とともに互いに許し合いつつあったのだ。理解し合えない部分はどうすることもできない。そこに目を向けるのでなく、相手が放つ光の部分を見つめれば、マイナスの感情は湧かないことにも気づいた。そこへ彼の突然の死である。それは確執を一気に氷解させた。母と姉と嫁である私は深い悲しみを共有し、互いを気遣い、いたわり合った。

 義母を思いやる私の気持ちがHiroshiは嬉しかったのであろう。嬉しい時に彼はかならず音をさせて伝えてくる。その翌日、居間で目ざめたのは午後二時頃であったが、「カチッ」という音を寝床で聞いた。それは廊下あたりから聞こえてきた。洗面所の電気スイッチを入れた音のようであった。まだ居るの? また来たの? 今ごろから出勤? それともホームセンターへ行くの? 彼の魂は私のそばを離れようとしない。日常生活のはしばしに現れては「俺は居るよ」と知らせてくる。

 この不思議な体験をし、私はひとつの詩を思い出した。



    あけがたにくる人よ
                永瀬清子

  あけがたにくる人よ
  ててっぽっぽうの声する方から
  私の所へしずかにくる人よ

    中 略

  あなたの耳はあまりに遠く
  茜色の向うで汽車が汽笛をあげるように
  通りすぎてしまった

  もう過ぎてしまった
  いま来てもつぐなえぬ
  一生は過ぎてしまったのに
  あけがたにくる人よ

  ててっぽっぽうの声する方から
  私の方へしずかにしずかにくる人よ
  足音もなくて何しにくる人よ
  涙流させにだけくる人よ


 おそらくHiroshiは、私が同じ世界へたどり着くまで魂の存在を伝えつづけてくれるのであろう。あまりに頻繁に来てくれるので、近頃は一人になってしまったとそれほど感じなくなった。私と彼にはこの世もあの世もないように思えてきたのだ。また昔のように二人で楽しく語りあっている。今がいちばん相思相愛の関係である。

 ちょうど七夕だったので、彼は牽牛(けんぎゅう)きどりではるばる会いに来てくれたのかもしれない。

2005年7月8日

平成道行考「右近的日常」より

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